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ミャンマーから台湾へ、COM'Z康姆士が歌う現代華人離散の物語 / 從緬甸到台灣,「康姆士」歌里的現代華人離散往事 (前編)


ミャンマーから台湾へ、COM'Z康姆士が歌う現代華人離散の物語 (前編)

從緬甸到台灣,「康姆士」歌里的現代華人離散往事  (前編)




COM'Z康姆士



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この文章はwechatアカウント:全現在(ID:quanxianzaiAPP) https://m.huxiu.com/article/391224.html の文章を転載しています。作者:王閃閃、写真は康姆士COM'Zオフィシャルより


本文來自微信公眾號:全現在(ID:quanxianzaiAPP)

作者:王閃閃,原文標題:《從緬甸出發,台灣音樂人永駐身上,是一頁現代華人的離散往事》,頭圖來源:康姆士COMZ


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見たところ永駐はまるで古いマフィア映画から出てきたような、ヤクザ者のようないでたちだが、日中の室内でお喋りしているのに真っ黒のサングラスを外そうとしない。彼は自分でこの仮装を楽しんでいるようだ。「普段の生活ではサングラスは外していると、みんな自分の素顔をよくわかってないので、ファンと一緒に入場で並んでても、彼らは自分の事を話しているのに、自分に気づかないんだ笑」


乍看起來,永駐像是從古惑仔老電影里跳出來的「江湖中人」,白天在室內聊天,不願摘下漆黑的墨鏡。這算是他自娛自樂的偽裝遊戲,「平常生活里摘掉,大家就不知道我長什麼樣子,跟歌迷一起排隊進場,他們在聊我,卻沒認出我,哈哈哈哈」。


このCOM'Zのボーカルの声は特徴的で、ハッキリとしていて、良く通り、まるで二日酔いの後のようなカスれた音を含んでいる。彼の書く楽曲はロマンティックで優しく、どの曲も月夜に踊るのにピッタリである。《樂隊的夏天 (英題:The Big Band) 中国で1大ムーブメントを巻き起こしたバンドバラエティ番組》で歌った《你要如何,我們就如何》では「もし俺が、もし俺なら、お前の手を取って、遠くまで行きたい、もし俺が、間違っているのが俺だとしたら、お前を連れてどこかへ飛びたちたい」と歌う。ファンは「最高、大人の声で友情を歌うのがたまらない」と共感を寄せる。


這位康姆士樂隊主唱的嗓音很有辨識度,音量爽朗、穿透力十足,音質中帶著種醉酒後的沙啞。偏偏他寫的詞曲浪漫又溫柔,每首都適合當作月夜舞曲。《樂隊的夏天》唱火了《你要如何,我們就如何》:「如果我 / 我是說如果我 / 想牽你的手 / 然後帶你遠走 / 如果我 / 不對真的就是我 / 想帶你飛……」樂迷有句形容:「絕了,用爹的嗓音,唱男朋友的情話。」





COM'Zボーカルの永駐 / 康姆士樂隊主唱永駐



その実癒しの歌である《你要如何,我就如何》は恋人に歌った歌ではなく、生活に困った環境にある子ども達に向けて歌った歌なのである。2015年、永駐はミャンマー北部のナムトゥーを訪れ、中国語の教師をしている母親を訪ねたその時、たまたま廃墟となった銀鉱へ行った。10数歳の鉱夫の子供達が汚染の深刻な環境で暮らしていて、永駐の周りを囲んで都会の物語を話すようにせがんでいた。子供達は1番嬉しいのはキャンディーをもらえること、と言っていたが、それは本物のキャンディーではなくて、連合国が支給した栄養補給食品だったのだ。

その夜永駐は眠ることができず、歌の最初を書き出した「静かな夜空を遠くに眺めて、お前はあの星が欲しいと指を差す」。


其實治癒系的《你要如何,我就如何》並非唱給戀人,而是獻給一群被生活困住的孩子們。2015年,永駐到緬甸北部的南渡探望做中文老師的母親,偶然走進一座廢棄的銀礦。十來歲的礦工子弟們,居住在污染嚴重的環境里,纏著永駐讓他講講大城市的故事。孩子們說,最開心的事情就是拿到糖吃,但不是真正的糖果,是聯合國發的營養棒。


那晚,永駐整夜無法入睡,寫出了歌曲的第一句,「遙望著寧靜的夜空,你指著想要的星球」。





メロディと共にどこまでも広まってき、さらには歌手自身が特別な人生のストーリーを送ってきたとあって、雲南をルーツとして、ミャンマーで生まれ、青年期を1人台湾で過ごし、貧しい学生からバンドのボーカルになった永駐を伝奇的な人物と評する。永駐の成長の過程や、家族三代の背景を伺うことで現代華人の離散の物語を読み取ることができるだろう。


與旋律一起流傳開來的,還有歌手自己非同一般的人生故事。馬東用「傳奇」形容永駐——他祖籍雲南,生於緬甸,青少年時孤身來到台灣,從窮學生變成樂隊主唱。


聽永駐講他的成長經歷、家族三代人的背景,如同閱讀一頁近現代華人離散往事。





The Big Bandで放送された永駐が撮影したミャンマーの風景 / 《樂隊的夏天》播放永駐拍攝的緬甸畫面



コーカン人としての永駐 / 果敢人永駐


永駐のお爺さんは雲南の龍陵の人で、黃埔の軍学校に通った、国民党残留部隊の一員であった。1949年に国共内戦末期に国民党の部隊は散り散りに台湾、香港などに逃れて行った中、一つの部隊はミャンマー国境の山岳地帯に身を潜めた。連合国会議の圧力の下で、彼らは台湾当局からも承認されずに、長年流浪を続けて帰れる故郷もなかった。


永駐的外公是雲南龍陵人,曾就讀於黃埔軍校,是國民黨孤軍中的一員。1949年國共內戰末期,國民黨敗軍紛紛湧向台灣、香港等地,另有一支隊伍逃至中、緬的邊境山區。在聯合國會議的壓力之下,他們不被台灣當局承認,流亡多年,有家歸不得。


1961年に作家の柏楊はこの血と涙の歴史を描いた小説《血戰異域十一年》を発表し、台湾では発禁処分となった。1990年に劉德華主演の映画版である《異域(英題:A Home Too Far)》は、上映前に大幅な編集を余儀なくされることになり、台湾で反対デモが起こり、最終的に一切編集無しとなった逸話も残る。この映画のエンディングテーマ曲は羅大佑の有名な《亞細亞的孤兒》である「どれだけ多くの人が深夜にやるせなく溜息を吐くのか、どれだけ多くの人の涙が無言で拭い去られているのか、愛する母よ理由を教えておくれ、愛する母よ真実を教えておくれ」


1961年,作家柏楊將這段血淚歷史寫就小說《血戰異域十一年》,一度被台灣列為禁書。1990年,劉德華主演的電影版《異域》上映時曾被要求大幅刪改,台灣民眾舉行了遊行,最終才得以一刀未剪。片尾曲是羅大佑那首著名的《亞細亞的孤兒》:「多少人在深夜裡無奈地嘆息 / 多少人的眼淚在無言中抹去 / 親愛的母親這是什麼道理 / 親愛的母親這是什麼真理。」





もちろん心の中では強烈な帰属意識があれども、故郷を離れた戦士とその末裔は帰ることが出来ず、ある種致し方なく住むことになったミャンマーで現地の華人グループと共に、「果敢人コーカン人」として暮らしていた。永駐は現地華人の生存状況をこう説明する:‘ミャンマーには果敢コーカンと呼ばれる民族がいたが、それは実は漢人のことであり、ミャンマー政府は自国内に隣国民が暮らしているのを許可しなかったので華人は自分たちのことを果敢人と称して紛れていたんだ。'


無論心理上是否依然有強烈的歸屬感,離鄉背井的士兵及後代已經回不去了,不得不融入緬甸當地華人群體之中,以「果敢人」的身份生活。永駐描述華人的生存境況:「在緬甸有一個民族叫果敢,其實就是漢人。因為緬甸政府不允許我的國家有旁邊國家的人,所以華人就稱自己是果敢人。」


ミャンマー軍政府は華人の文化を抑圧していたが、華人の精鋭達は華人の伝統教育を保ち続けた。永駐は小さい頃には《三字經》を読んでおり、半非公式の学校でこっそり中国語を学んでいた。'私の母は私を黒猛龍果敢語学学校へと通わせた。黒猛龍、ヤバそうな名前だけど、行ってみたらこれは中国人の学校だってことがわかった。私は朝6時に中国語の学校へ行き、8時に終わって、家に帰って朝ごはんを食べてからまたすぐにミャンマー語の通常の学校に行っていたんだ'


緬甸軍政府壓抑華人文化,但華人菁英堅持興辦傳統教育。永駐從小就念《三字經》,去半地下學校偷偷學中文:「我媽讓我去念黑猛龍果敢語文學校,黑猛龍,名字聽起來還挺屌的吧,進去才知道就是中國人的學校。我早上6點開始去中文學校,上到8點,回家吃個早餐,馬上又再去緬文學校。」


永駐はミャンマー北部の臘戍(ラシオ)で生まれ、その80年代は政局は不安定で、都市経済は落ちぶれ、様々な人々が行き交った。彼の父と母もこの地で苦労を続け、1から家を立ち上げていった。そして1988年、突然都市全体が大きな火事に見舞われて、永駐の父は家にいた客を救うためにその命を落としたのだった。


永駐在緬甸北部的臘戍出生。80年代,政局動蕩不安,城鎮經濟落後,人口魚龍混雜。他的父母在此地辛苦打拼,曾白手起家。然而1988年,整個城市突然陷入大火,永駐父親為了救家裡的租客身亡。


永駐は番組《The Big Band》の中で幼い頃のことを語ったことがある:'私は小さい頃からいつもどうやら自分は少し人より恵まれてないと感じてはいた'

'人に同情されるのはまっぴらごめんだ'

この話になると永駐の語気は強まる。番組の放送後沢山の知り合いもそうじゃない人も彼を慰めに訪れたのだ。'小さい頃特に怖かったのは、作文のテーマが私のお父さん、もしくは私の家族というやつ。一体私は何を書いたらいいのか、先生を騙すべきなのか?私は幸せな家庭を持ってますよって。この気持ちわかりますか?'


永駐在《樂夏》聊到童年的感受:「我從小就覺得好像自己總是差人家一點。」


「我特別討厭有人可憐我。」又談及至此,永駐的語調升高了,綜藝播出之後,很多熟悉的不熟悉的人都來「安慰」他。「我小時候就特別害怕,寫一些作文題目是我的爸爸,或者我的家庭。天哪,我要怎麼去寫,要騙老師嗎?說我有一個美滿的家庭。你懂嗎?」


永駐はかつて英語の先生をしていたことがあるが、度々片親の家庭の子供に出会う。'いつも私は家に何人いるのかをきいた時に、その子供が少し戸惑いながらお母さんがいる…と言ったらもう全部わかった。亡くなったのか離婚したのか、もちろん離婚してた方がまだ生きてるだけマシってもんさ。そしたら私も続けて、自分も片親の家庭だと伝えるんだ。見てみろ、それでも今は先生やってるんだ、大したもんだろ。家にはゲーム部屋もあるぞ、ゲームしたり本を読んだりするだけのやりたい事だけやる部屋さ。俺の小さい頃は皆んなニキビを恐れていて、見つけたら全部綺麗にしなきゃとか、今のお前たちもそういう感じなんだろ?'


永駐曾經做過英語老師,但凡遇到單親家庭的小孩子,都會「特別高興地把這件事情講出來」:「每當我問家裡幾個人,有小孩會比較遲疑地說,有媽媽……我就知道完了,要麼去世了,要麼離婚了,當然希望還是離婚,好歹還是活著。可是我下一步就會講,我也是單親家庭,你看,我現在當老師,混得超好,我家還有一個遊戲間,可以專門玩遊戲、看書,想乾嘛就乾嘛。小時候,大家都會特別害怕青春痘,看到了都要擠乾淨啊要怎麼樣,現在你還會在乎這個東西嗎?對不對?」



1996年、母は永駐にもっと外の世界を見せるために、臘戍ラシオからより賑わいのある曼德勒マンダレーへと引っ越す決心をした。華僑達はこのミャンマーで2番目に大きい都市のことを「瓦城」と呼んだ。イロワディ川が街の西側を流れ、マンダレー山が街の東北に位置しており、街の至る所に寺廟が林立している。


1996年,母親為了讓永駐「多看看外面的世界」,下定決心,從臘戍搬家到了更加繁華的曼德勒。華僑把這座緬甸第二大城市稱為「瓦城」,伊洛瓦底江從城西流過,曼德勒山位於城東北,整座城裡寺廟林立。


'マンダレーの路上には陽光があり、ヤシの木とチリンチリンとなる風鈴' ノーベル文学賞のジプリンは詩「マンダレーへの道」でその多くの魅力的な美しいイメージを紡いで行った。まるで古くからのオリエンタリズムへの讃歌であり、100年に渡り代々引き寄せられてきた西からの旅人の紀行である。ただ不思議なのは生まれ変わったらミャンマー人となる、とまで言われたジプリンだが、実は詩作の時に短期間ミャンマーを訪れただけで、マンダレーには行ったことすらなかったのである。


「曼德勒的路上, 有陽光、棕櫚樹和叮噹作響的風鈴。」諾貝爾文學獎得主、英國作家吉卜林曾在詩歌《通往曼德勒之路》之中堆疊起諸多迷人的意象,宛如一首寫給古老東方的贊歌,百多年來召喚了一代代西方旅人遠行。但有點不可思議的是,聲稱「來生要做一個緬甸人」的吉卜林,寫詩時僅僅只是短暫途徑緬甸,從未真正到過曼德勒。


永駐と同じように国民党残留部隊の末裔で、ミャンマー出身の華僑の映画監督'趙德胤(Midi Z)'はかつて映画《再見瓦城 邦題:マンダレーへの道 / The Road to Mandalay》の中で現実のとある側面を表現している:グローバル経済の波が席巻する中、そこから外れてしまったミャンマーでは電気の供給すら問題になるほどで、最下層にいる華人は密入国、人身売買、麻薬取引など違法な活動でやるせない日々を過ごしており、若者はより良い生活を求めて海外へ出稼ぎの為に密航を企てるのである。


同樣身為國民黨孤軍後代,緬甸華裔導演趙德胤曾在電影《再見瓦城》中展現過現實的另一面:全球化資本浪潮席捲下,偏遠落後的緬甸連電供應都成問題,底層華人在從事偷渡、人口販賣、販毒等非法活動中無奈度日,年輕人為了尋找更好的生活,冒險偷渡去國外打工。




映画マンダレーへの道 / 電影《再見瓦城》劇照



永駐にも《Mandalay》という曲がある。彼はこの街で自転車を乗ることを覚えて、縦横だけの道から、数日の振られた街道をいくつも越えて、寺廟の時々鳴る敬虔な鐘の音を聴いていた。故郷を離れた後も、記憶の中のこれらの音を曲の前奏に取り入れている。ファンはこのように評する「鐘の音はViva La Vida(coldplayの曲)を彷彿とさせるように広く自由に感じる」永駐は高揚するパートで祈祷のように故郷の名前を繰り返し念じるのである。「Man-man-man-man-da-da-da-da-da-lay……俺をいつも引き止める / 記憶はぼんやりとしたシルクの中に  / 全身で受け止めている」


而永駐也有一曲屬於自己的《Mandalay》。他在這座城市學會了騎自行車,從橫平竪直、以數字命名的街道穿行而過,聽著寺廟里不時響起虔誠的鐘聲,長大離鄉之後,把記憶里的聲音作為歌曲前奏。歌迷在評論里寫道:「鐘聲好像敲起了Viva La Vida(英國樂隊Coldplay的知名歌曲,取自西班牙語中的‘生命萬歲’)般的宏大自由。」永駐在高潮段落像祈禱儀式般,反復吟唱故鄉的名字:「Man-man-man-man-da-da-da-da-da-lay……每當我停下來 / 回憶在迷濛的綢網  / 撞了滿懷



康姆士COM'Z / Mandalay





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COM'Z / 康姆士 Live in Tokyo

2024年1月25日
Shibuya WWWX

open18:30 / start19:30

adv.6500 yen (include 1drinkfee)

door. 7000yen (include 1deink fee)


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